11月27日(火)水道の民営化?!手放すのは何?

大阪万博を50年ぶりに、、とかいう話題がマスメデイアに取り上げられています。子どものころ父が行ってきた、とお土産をもらった覚えはありますが、、。

こうした一過的なイベント、まして国際的なイベントで経済効果を期待する、ということはわからなくないです。

でも今の日本で、自治体でお金をかけて人を配置するのはそこではないんじゃないか、と思えてなりません。

水道も民営化させようという法改正が衆議院を通過しましたが、コンセッションと言われても、「公」が人とお金をかけて守るべきライフラインに、お金をかけたくない、と投げ出してしまおうというものを、営利を目的とする民間ができるはずがない、というのが理屈のはずですがー。

水道管の耐震補強や、老朽化対策は、全国的な課題です。地震の多い国、維持管理の年月を計算にいれて箱ものもライフランインの敷設もしていくべきは当然です。維持管理を計算せずーあるいは無視してーダムを過剰に作りすぎたあげく、水道料金の負担が過大になり、ゲリラ豪雨への対応が遅れたりおろそかになってしまって、さらに老朽化した水道管の更新もできない、という現実に責任をとらず、ツケは市民に負わせるとしたら、もはや国として「公共」という体をなしていないのではないか、とさえ思えてしまいます。

日本が売られるーという本も読んでますが、水道の民営化、の道理も理屈もない無茶を堂々と言う政権を見ていると、うられるのは日本というより、市民の生活そのものではないか、、と。政権にそこまでの権限はゆだねていないはずなのに、と憤りを覚えます。

一事が万事のような今の政治。災害へのそなえ、老朽化したライフラインの更新、様々な現場を担う人を育て、未来を見通せるようにするために、国と自治体の本質が、取捨選択のあらゆることが本当に問われていると思います。

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