4月4日(日)五輪はもう招かない~吉見俊哉さんの寄稿より

「輝かしい時代」五輪はもう招かないーと題した寄稿が2日の新聞に掲載。とても興味深く読んだ。記事を貼り付けたいと思ったが、有料記事のため、記事の全部をここで記載しておきたい。

東京五輪・パラリンピックは、最初からトラブルが続いてきたーとの書き出しで、2度目の東京五輪構想が、2005年夏に当時の石原慎太郎都知事の掛け声で始まった、と思い出させてくれる。

「21世紀の東京をどんな都市にすべきかの真摯な議論はまるでないまま都も国も引きずられていく」「東日本大震災を経て20年の開催権を得た」「東北の『復興』は招致のうたい文句だったが、開催地は東京である」「平成の沈滞ムードの中で人々は、東京五輪の再演によって『あの輝かしい時代を』招来しようとした。五輪神話は昭和回顧の番組からNHK大河ドラマ『いだてん』に至るまで再演され、呪文として機能する。しかも、メデイア上の東京五輪への言及は1990年代以降増加していた。2度目の五倫は、64年五輪が池田政権の『所得倍増』を祝福したのと同様、安倍政権の『アベノミクス』を祝福するはずだった。」

「だからもし、2度目の東京五倫でかくもトラブルが続く根本を問うなら、1度目の東京五輪についての私たちの固定観念を根底から問い直す必要がある。」として著者は自身の著作『五輪と戦後』(4月刊予定)で64年東京五輪の歴史的再検証について記したことを続ける。

「聖火リレーが36年ベルリン五輪でのナチスの発明品なのは有名だが、64年五輪でも、米国統治下の沖縄から始まったリレーの政治性は生々しい。沖縄の人々は聖火を無数の『日の丸』で迎え、これが『祖国復帰』への世論を決定づけた。この演出の背景には、ケネデイ米政権の影があった。同じ影は、国立代々木競技場でも顕著だ。朝霞米軍基地の五輪会場化を狙っていた日本側に対し、代々木ワシントンハイツ全面返還を推進したのは米国側だった。60年安保闘争で盛り上がった反米感情を抑え、日米安保体制を牽固たるものにする必要があった。」

「他方、64年の日本は、工業化途上の貧しき国だった。たとえば女子バレーボールで『東洋の魔女』の異名をとった日紡貝塚チームがなぜあれほど強かったのか。繊維産業で働く膨大な女子工員がいたからだ。経営側は、彼女たちが労働運動に向かうのを抑えるためにバレーボールを推奨し、多数の強豪チームが誕生した。」

「円谷幸吉をマラソン選手にしたのも、彼を自殺に向かわせたのも、自衛隊の訓練体制である。福島の貧しい農家の末っ子は、『軍隊』を目指して自衛隊に入り、銅メダリストとなった。例を挙げていけばキリがない。64年五輪は、殖産興業と富国強兵に邁進した国が、日米抱擁の中に転生した象徴的舞台である。その舞台を、日本人は自分たちの復興と経済的成功の物語として受容してきた。」

「この物語が平成時代、綻び始める。多くの人はもう、五輪は『あの輝かしい時代』の再来にはならないと知っている。たしかに今後、『延期』の2文字に望みをつなぐ人も多いだろう。1年後の五輪を、マスコミは「TOKYO2020+」などと必死で盛り上げるだろうが、「TOKYO2020」が来なかった事実は変わらない。歴史は願望の先にはない。念ずれば救われるわけではないのである。」

私も吉見俊哉氏の著作「五輪と戦後」を読んでみようと思う。

 

 

 

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