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1月 30日(月) いのちを守れる社会に。

ブログの更新もほったらしてまもなく1月が終わろうとしています。見て下さる皆さま、申し訳ありません。

年があけてからまたまたあわただしくすごしていますが、1月は15日の脱原発世界会議にも参加、市役所への放射能測定やガレキ処理受け入れといったテーマでのお話し合いとやはり原発事故に絡んでの用件が多いのです。特にここにきてがれき処理の問題で、昨年12月の県議会最終日に知事が受け入れしたい、と突然発言。本会議などでも質問が出たり、某会派の議員などから特に受け入れを進めるような発言があったようですが、それにしても一般廃棄物の処理には、何の権限もない県が誘導していくような言動は慎重にも慎重でなければ、誤解や憶測が広がってしまいます。

ガレキ処理の受け入れは、「被災地への支援」と単純に言うわけにはいきません。放射性物質をどれくらい含むのか、それによっては放射能汚染を拡散させ、国や東電の責任をあいまいにさせることにもなりかねません。知事は、政令市3市で焼却(中間処理)を行い、横須賀市芦名の県がつくった産業廃棄物の管理型最終処分場に灰を埋める(最終処理)をしたい、との思惑のようですが、20日に行われた知事による、横須賀での説明会は、地元で会場に入れない人もいたり、知事に「帰れコール」も出た、とかかなりの拒否反応を呼び起こしています。

芦名はもともと、反対運動がずっとあったところに、県が、当時岩手に次いで2番目でしたか、公設で、産業廃棄物も県内処理100%を目指すとして無理を通すようにつくったもので、そのために地元自治会の自治会館など、いわゆる「迷惑施設」の代償として公共施設をプレゼントする「バラマキ」もついて費用対効果では、建設後の採算がとれていない問題をかかえた施設です。ここを一般廃棄物の最終処分を行うには、まず整合性をとる手続きも必要ですし、唐突にご都合主義が通るなどと簡単に考えられては困ります。

相模原市は、環境省の打診にたいし、4月の時点から「検討する」と答えてきたと、市に直接話を聞きに行ってしりましたが、前提として、処理費の国負担と、安全性の保証、最終処分は他で、という条件をつけているとのこと。でも安全性の担保も未だこころもとないのが実態です。このあたりのことを詳しく調べていますが、そもそもダイオキシン対策のしくみがそのまま放射性物質としてのセシウムなどの対策に活かせる、という環境省のマニュアルが??です。これはまた後日あらためますが、、。

いずれにしろ安易なガレキ処理の受け入れが、放射能汚染を拡散させ、国と東電と原子力ムラの既得権益網の策略に乗っていくことになれば、未来に対する責任を捨て、ひいては福島をはじめ高汚染地域で今も苦しみながらの生活を強いられている人々への棄民政策に加担することになります。すでに事故を起こさせてしまったことで、私たちは、未来にも世界にも責任を負っています。また2重3重の過ちをおかしていくのは大人のすることではありません。もう少し当たり前の自己責任を、政治にかかわって発言する大人にも持ってほしいですね。よりいろんな人々とつながって活動していきます。

11月20日(日)市民測定室

111120_161752 111120_161824 市内東林間に開設された、食品などの放射能をはかる「東林間放射能測定室」での講習会に参加して実際にはかってきました。

向かって左の写真がLB200べクレルモニター(検出限界20bq)という測定器です。右側があまり色よくとれていなくてわかりにくいですが、測定した「ゆず」です。このようにビニールの袋に入れて鉛の遮蔽体の中のケースで、20分くらいかけて測定値をだします。私も自分でもっていった大根を測ってみました。

この測定室を開設してくれた「チャンプール」というお店は、お店の名まえがもっと変わる以前からのお付き合いで、「反農薬」の八百屋さんとしてもいろんな生産者とつながってずっとここで頑張ってきています。今後更に上級の測定器を購入する計画で、今日も横浜からも測定するためにこられた方たちもいて、ここのお店のものは安心して子どもたちに食べさせられる、という信頼からつながってきていることがわかります。

食品の放射能汚染を知るーそのための「測定」には、いろいろな考え方があります。今日も実際に参加し測定してみて、あらかじめバックグラウンドをはかった上でその数字の信憑性を考慮し、測定値の誤差の範囲などいろんなことを考慮して値を出していくことも学びました。群馬の産地の大根を調べて実際に値が0になって出てきたことは少し感動して、ホッとしました。何種類かの測定を実際に見て、茨城の原木栽培のきのこでもほとんど0といえるような値で、その背景には生産者が3,11直後栽培地を屋内に移し、放射能から守るための努力を重ねたことを聞くと、だからこそ測定をしてみることも必要だと思うのです。大根もそうですが、「産地」だけで決めてはいけないのです。今値が高いと思われているところでも、生産者の意識と努力や野菜の性質、あるいは理由ははっきりわからないけれどもと、様々な要因で実は汚染されていない野菜も多々あるのだと思います。本当の風評被害をなくすためにも、はかって知ることは信頼や安心に通ずるのではないでしょうか。

子どもを放射能の内部被ばくから守りたい、と思う人たちと自分が自分の口に入れるものを納得して買って食べようという人達とともに、本当は国や県や市という行政府ももう少し機能してもらいたいという意思ももちつつ、地域でこうした場を支えていきたいと思います。

11月14日(月) 怒涛の1週間

気がつけばもう11月も中旬です。あと1月半で今年が終わるなんて!という毎日です。

昨日は相模大野の「アートクラフト」ですごい人手でした。朝7時半から私もお手伝いで行きましたが、出店される方も多かったですが、人でもやはり多かったです。皮革・工芸・アクセサリー・陶器・編み物・ガラスなどなど、あらゆる分野のアートな手作り品の展示と即売の集う催しです。実際に自身で作る人が年々増えて盛んになっているということでしょうか。埼玉や千葉、東京など近県からとてもたくさんの方が出店されていたようです。慌しかったですが楽しくもありました。

今政治のテーマはTPPと増税、年金でしょうか。でも本当はずっと、フクシマと放射線濃度が高い地域にこのまま人が住み続けて良いのか、今も一番の問題だと思います。政府と東電は何とか早く終わりに近づいていることをピーアールしたくてやっきになっているようですが、事実を矮小化して結果的に責任のとれない事態を拡散させて行くだけです。今福島県の県議選をやっています。首長選挙も双葉や大熊という当該自治体でもやっていますが、本来の選挙とは全く異なる事態です。仮設住宅も散らばっている中で、どこに誰がいるのか捕捉することが困難な上に、そもそも仮設住宅のある場所そのものが、安全といえるのか、という問題もあります。人がまばらな仮設住宅を数だけそろえることが意味があるのでしょうか。フクシマの被害とかかる費用を4兆円とか5兆円とか、今になっても原発の発電コストまでも安く見積もることは愚かしいとしか言い様がありません。日本は、借金残高そのものよりも、あまりに非現実的な原発事故への対応で、世界の笑いものになって評価を下げる方がよほど懸念されます。

「ドジョウ内閣」だと言うならここは正直に、年間の国家予算をほぼ使うくらいの被害と対策が必要であり、フクシマを繰り返さないための当たり前の「脱原発」とフクシマを忘れない場所とし、年間1ミリシーベルトを超えると想定される地域からは人を遠ざけ、放射性廃棄物の措置も含めて対策を講ずる覚悟を示す方が、TPP交渉に今更参加するとか、消費税増税を言うよりも世界に向けて日本の存在をピーアールできると思います。原子力ムラは相変わらずですし、その既得権を守る衝動もすごいのでしょう。大メデイアを見るだけでは、本当にフクシマはもう終わったかのような錯覚を覚えてしまうのではないでしょうか。

腹立たしいことが多々ありますが、忙しすぎるとホントに追われてしまっていろんなことが過ぎてしまいます。市役所関係に今いろいろ相対することが多いですが、最近一つわかったことがあります。私はかつて市議のとき、「市政功労者」というものをお断りしました。でも県では、今回2期やったということで「県政功労者証」と、「県議会議員待遇者」なるものをわざわざ選挙からだいぶたってから連絡送付してきました。だからと言って私は何ということもないのですが。私にとっては、古巣のような(?)市も、直近の県も同じですし、一般市民同様あまりこういうことに頓着しないのですが、役所というのはそういうことを重視するものらしいのです。市役所のあるところの仕事にとって、勲章や表彰が大きな意味を持つものなのでしょうか。

地方自治では、今もう一つ大阪の選挙があります。大阪都構想自体に文句はありませんが、橋本さんのあまりに偏った教育観、独裁的手法は相容れず寒気さえ覚えます。政治の世界では、わかりやすい構図をつくって見せ、派手に演説をする人が好まれる傾向が強くなっていると思います。もちろん、それが客観的に事実を網羅していればいいのですが、そうとは言えません。自分の言葉で話すことは必要条件ではあっても、しょせんツールと信条・目的を逆転させてはいけないと自戒を込めて思うのです。

10月24日(月) 拝啓JR東海さま

リニア式中央新幹線の「環境影響評価」方法書に対する説明会を、相模原の南区では土曜日と平日の夜の2回、それも同じ場所というのは、これが最大限の配慮なのでしょうか。

私はたまたまですが、①夜はどちらも参加できる条件があり、②土曜日は説明の途中からの参加になってしまい、③質疑のための挙手を指していただけなかったという、理由が重なったため、今日の2回目の説明会にも参加しました。

最初に、「質問は一人3つだけ」ということを質問者の質疑の途中になってから言うのは、土曜日も今日も繰り返していましたが不手際でしょう。土曜日にやった失敗ですから、言うなら今日は最初に言うべきです。でなければ、そちらの不手際として質問者に譲ることも鷹揚さを示せたのではないでしょうか。

質問を受ける時間も、ちょっと短いですね。しかも応える側の裁量の方が大きいのですから、9時で完全にきらなければならなかったのか?と疑問が残ります。土曜日は完全に9時で終わらせ、私も質問者として切られ他にもいましたがダメでしたね。今日も質問者がまだいたようでしたが、少なくとも9時きっかりに終わったわけではなく、はじめに司会者は「おおむね9時には」といわれ、最後の方で、「9時に」と断定される口調に変わりました。ここは「法律を先取りして説明会」をやっている、という自負をお持ちなら、もう少し太っ腹な対応を見せていただきたいと思いました。

1986年の「国鉄」が分割民営化された際、JR東海さんは新幹線というJRのドル箱を独占し、借金もほとんど背負わずに済んだ、いわばJR各社の中で最も箱入りで、いいとこどりをしたようなスタートだったと記憶しています。新たに9兆円を超えるリニア中央新幹線事業を行うなどと、とにもかくにも言える財政的基盤は、分割民営化したときの国民に負わされた借金と、他の会社が負の部分を負い、JRの子会社化した事業部に行かされた人をはじめ、陰になった多くの人たちがいたことでつくられてきた、と社長をはじめ幹部の皆さんも当然認識されているはずですね。そこに新たに借金を何兆円も負うことをまた始めることを、しかもこの時期、お金が国も自治体もいくらあっても足りないときにやることが、公共性を重視すべき皆さんの仕事なのか、今一度考えていただく見識もお持ちのはずですが。国民があの分割民営化で負わされた借金の中には当然本来なら東海さんがもっと負担すべき部分があったのですから。

私は今日もまた最後まであててもらえないか、と本気で危機感を持ってしまったので、つい声を上げてしまいましたが、なぜこんなことで、疑心をいだかせるようなことをされるのでしょうか。天下の東海道新幹線を抱えるJR東海ともあろうところが、官僚の世界をまねたような、と思われることをせずに、鷹揚にドーンと構えて何でも応えますよ、とやりましょうよ!ただ、土曜日には、「トンネル内の事故や火災の際の非難の手法、誘導員などについて、これから検討する」という回答だったのが、今日答えた福井さんは、既に交通政策審議会を経て検討済み、というニュアンスだったことがひっかかります。誘導員を何人にするか、だけが今後の検討課題、という回答だったことは、社内的な不統一を思わせました。社内で検討するか、第三者で検討するか、も、交通政策審議会が第3者機関で、そこを通して検討済みという認識でしたからまた驚きました。建設残土の量的な予測は、2年後の準備書策定時には出す、という答えだったことは記録しておきますが。まだまだもまなければならない課題がたくさんある、という印象を逆に強くもってしまいました。

全体にコストを心配する市民が多い、当たり前のようですがたった2日間、のべ3時間の説明会でも感じます。国民全体を見たら益々そうでしょう。失礼ながら知事たちが好き勝手に、リニアを推進させて、各県に更に新幹線の駅を誘致させようと競っていたのも、3,11前の話です。3,11を経て、この事業が改めて各自治体に大きな財政的影響をあたえる責任を自覚していただき、今一度練り直しをする機会としてこの説明会を捉えて出直しませんか!?飛行機より新幹線が好きな私としてはJR東海さんを拒否したくないのですが。

が、なかなかあててくれなかったのは、なぜなのでしょう。しかも9時近くなったら、地場と磁気について、急に長い説明をされたように思えましたが。私もしびれをきらして最初から挙手していることを声にだして言ってしまいましたが、そういわなかったら、今日も指してくれなかったのではないですか?と疑心をいだいてしまいました。そんなことは考えすぎだと具体的に示して下さるといいのですが。

10月 5日(水)今日福島市・渡利地区の土壌汚染調査結果を受けた記者会見

国と福島市に対する住民による要請書の提出と記者会見が行われました。5箇所の調査した土壌分析で、全ての箇所で、チェルノブイリの避難義務を課したゾーンを上回り、4箇所からは、特別規制ゾーンに匹敵する高濃度のセシウム汚染が明らかになりました。当然、もはや「除染」ではなく、「退去」「避難」を徹底しなければならないはずです。早急な政治判断が求められています。

国会の特別委員会では、今に至っても、福島に残っている人達にも「何らかの対応を検討する必要」がやりとりされている段階です。あまりに現実との乖離が激しいものです。一刻も早く子どもたちや妊婦、30歳未満など退去を国や県、市が勧告しなければならないのに。今もって、県も市も、「除染」をしてその費用を国に求める、という茶番をやっているとしか言い様のない政治状況があります。

除染ではなく、退去と避難を、政治に係る人たち、特に首長や国会議員が言うべきです。故郷をなくす、と思う心情はわかっても、冷厳な事実は原発によって汚染された土も水も、もはや生物の営みを破壊するものになっているのですから。ふるさとをなくす代償として、二度と原発を日本のどこにも造らせない、そのためにも福島を忘れないことを誓うような場として、福島を位置づけて、一部に放射性廃棄物を持っていく、そこに置いて、管理し、数十年後かその地を自然エネルギーの場にしていくことを考えたらいいと思うのです。

原発を造らせたときから、人はふるさとを捨ててしまっている、と思えてなりません。そういう知識を持たずに、事故の可能性や危険を知らずに、というのは全ての免罪符にはならないと思うのです。未だに口をつぐんで原発と共存しようとしている全ての人が、今後新たな何かがあったときに、その加害責任を負うことを自覚できるように、本来はメデイアも世論も環境を整えていきたいものです。原発を促進、誘致するマスコミ、知事や市長らの責任、議会議員の責任は特に、とても重いものです。責任はずっと問われていくものと思います。

日本には荒廃農地も、限界集落となってしまったような地域もたくさんあります。福島の人達に住んで欲しいところはたくさんあります。除染に掛ける費用を、退去と移転の補償にかけるよう、働きかけていきましょう。これ以上被害を広げないために。

9月 20日(火) 昨日の6万人集会

110919_1259441 人々が集まり始めたときに撮ったものですが、久々にこれだけの人が集まったところを見ました。発表は6万人ですが、夕方のニュースでは2万7千人とか言っていました。警察がデモ隊をカウントしていたそうですが、集会が終わると事情で帰った人も結構いましたから、実際はやはりもっと集まったと思います。何度か明治公園に来ていますが、これだけ人で埋まったところを初めて見ました。

ステージで話す人の顔ぶれも結構多彩でした。もともと「集まれ5万人!」「さようなら原発集会」とネットなどで呼びかけられていましたが、本当にそんなに集まるだろうか、と思っていました。地域の学習会などで、新たに若い子育て中のママたちなどが真剣に参加しているのを目の当たりにしてきたので、「脱原発」の裾野が広がっていることは認識していたつもりでしたが、実際に見て嬉しかったです。

「福島隊」の旗もあり、「飯館」ののぼりもありました。福島からは避難している人も含めて、100人ぐらい参加されていたのではないでしょうか。あるいはもっとかもしれません。 私はこの日、朝から都内の学習会に参加していて、山田真医師の話を聞くことも出来ました。福島の健康相談を続けていらっしゃる山田先生から現地の話を聞いて益々、早く何とかしないと、という思いに駆られます。

放射能の被害について学校で教えたら退職に追い込まれたという教師、健康相談に参加することを知られては困る、という母親など。放射能という言葉を口に出来ない福島になっていると言います。原発の被害を小さく見せようとし、何もなかったかのように見せたいと、国際会議などでも宣伝にやっきの政府や県知事の姿勢は、避難したくてもできずに残っている福島現地の実態との乖離、多くの国民との乖離をひどくするばかりです。

山本太郎さんも言っていましたが、今必要なことは、一刻も早く線量の高い地域から特に子どもたち、20才未満を強制退去させること、その子どもたちを集団で受け入れる先を西日本を中心に国と県が責任を持って用意することです。今は国と県の、子どもたちを出来る限り被ばくさせない、という当たり前の視点での政治判断が必要なのです。今のままでは、民が捨てられゴーストタウンのような街と知事や県庁がまるで何もなかったように存続し続けるなどというありえない状況になります。同じ税金を使うなら除染ではなく、まず避難です。

運動会を屋内で実施した福島の学校を、テレビが報道していました。が、屋内でやることを報道するくらいなら、外で走れる環境をこどもに保証するために、テレビ局も政府に早く避難をさせるよう求め、抗議することが先ではないでしょうか。マスコミはなぜこれほどまでに東電や原子力ムラに縛られ続けるのでしょうか。「唯一の被爆国」といい続けてきた日本が、実は原子力の怖さ、内部被ばくについて、一切教育の場でも学ばせてこなかったことが、今目の前で非現実的な「総白紙化」の事態をつくりつつある-という気がしてなりません。前経済産業相が辞めた過程もとてもおかしなことが隠れています。Fグループを中心にマスコミがとにかくたたくことで、例え虚偽であっても傷を負わせてしまう、これを恐れて政治を仕事にしている人までが、脱原発や反増税をいえない状況が作られるとしたら、これが弾圧でなくて何でしょうか。それを見抜く力が60数年の戦後民主主義の中でどれくらい培われてきたのか、私たちは試されているのかも知れません。

昨日も夜の遅い時間になると、ニュース番組では、脱原発6万人集会のニュースは報道されず、軍需産業大手のサイバーテロだとか、IAEAでの細野氏の発言などが大きく扱われていました。

8月 24日(水) 相模大野のもんじぇ祭り初体験

110820_15344718 月20日と21日は相模大野の「もんじぇ」まつりでした。写真は大野駅前のデッキでの20日の「路上ライブ」です。私は2日間とも、このデッキ上でチラシを配りながら路上ライブを見て聴いていました。おかげさめでライブに出かけたようでとても良かったです。

ジャズとグルメをテーマにした「もんじぇ」は、7回目だそうですが、私は今年初めて参加しました。デッキのライブはこの間では今年がはじめてとのことでしたが、立ち止まって聴いて行く方が大変多かったです。同時にもんじぇのチラシもかなりとってくれました。本会場は中央公園でしたが、音楽好きな人にはこちらのデッキライブが良かったのではないか、と思います。「もんじぇ」の意味は?とよく聞かれました。ちょうど前日に私はお世話になっているTさんからその意味や歴史をうかがっていたので、フランス語で「食」、食べるを意味する言葉だと説明し、ジャズとグルメのお祭りととりあえず話せましたが、Tさんに聞いておいてよかったと、ホント感謝しました。デッキのジャズ生演奏は是非続けて欲しいものです。デッキのライブのあと、夜は本会場に行ってみましたが、1日目は特に人がすごくて、雨も7時半ごろから降っていましたが、ゴダイゴのミッキー吉野さんのステージもあったせいか、思ったより帰る人が少なく、大盛況でした。食べ物屋さんはすごかったですね。1000円のステーキまであったとは後で知って驚きました。「相模大野のジャズ」は定着しつつあるような気がします。

原発では、今週号のアエラでとうとう牛乳のことが出ました。私も牛乳は大丈夫なの?という声を多く聞きますが、「検出されず」もその内情を知れば不安は増すと思います。牛乳はセシウム汚染から身を守るためにも飲んだ方がいいとされます。その牛乳自体がどうなっているのか今のしくみと政府の体応ではわからないことだらけで、子どもに飲ませない、という人がいるのもうなずけてしまいます。国はまず生乳の段階での放射能汚染の状況がわかるようにすべきです。まっとうにやってきた生産者への補償もセットで、消費者が理解して買えるようにすべきです。わからない、という不安が一番不安を増幅させるものです。いずれ日本でも、スーパーで食料品を手に、そこに記された汚染の度合いを見ながら比べて買うようになるのかも知れません。

最近原発関連以外で読んだ本では、またサラ・パレツキーに勇気づけられています。彼女の書く女性の主人公に投影してしまうからかも知れませんが、国自体が「大きな基地」と表現されるアメリカの「今」もとても良く書いていてわかる気がします。「かんしゃく持ちの一匹狼」という女性主人公が闘う相手は、アメリカそのもののような、携帯の盗聴は当たり前、人権団体の人間は盗撮も、命を狙われることさえ日常茶飯事という社会で、個人のプライバシーなどあるはずもないのです。CIA相手にケンカする主人公。そんなアメリカの姿と日本も重なっていくのでしょうか?次の政権を担うとされる有力候補はそんなアメリカがお好きな方のようで先が案じられます。

8月 8日 月曜日 怒涛のように過ぎた1週間

一昨日「ワンコインフェスタ」という相模大野銀座通り商店街の夏のイベントが終えました。この日のためになんとも忙しく慌しい日々でした。イベントに必要な準備など慣れないこともあり追われて大変でした。当日はお天気がもってくれて、暑かったのですが、やはりいつもより人の出があって良かったと思います。事前にかなりポステイングもしたので、その効果もあったのかと思います。長野の立科町から新鮮な野菜や果物などを取り寄せて販売してみましたが、結構買ってくれました。とくにトウモロコシがとても人気で完売が早かったのは予想以上でした。ブルーベリーも結構売れました。収支は何とかトントンで、赤字がもっと出ると覚悟していたのですが、そうでもなくてホッとしました。相模原と関係も深い立科の農産物や加工品など、南部の消費地である相模大野と交流か深まると双方にとって良いと思います。

イベントを一定の期間で組んでいくのでこれは結構大変だと痛感しました。何でもそうですが。更に今の時期は各地の隣接する商店街でもお祭りなどが重なります。そちらへも行ってきたりで夏はお祭りの時期なのだと改めて思います。これからお盆のあとに、まだ「もんじぇまつり」があります。20,21ですが、これが終わるまではやはり参加出店されるお店も、係る人達も息が抜けない感じです。私は当日のお手伝いですからこちらはそれほどではありませんが、今まで行ったことがなかった「もんじぇ」に今回は初参加です。裏方ですが。

さて原発の状況です。牛肉の全頭検査が広がってきました。横浜市も全頭検査をするそうで、最近横浜市は結構動きが早いです。しかし、牛肉だけでなく、福島県以外は学校を含めて空間・土壌、食品などの基準について、未だ「暫定」や明確に規定がないということでそれも場当たり的に基準が引き上げられてしまう事態で、自治体も個別ばらばらの対応です。国が決めてくれないと、、という自治体の姿勢も問題ですが、もう5ヶ月なのに、今も個人に任せている状況は異常です。中国の列車事故で、最初に車両が埋められたことを日本のマスコミや評論家はこぞって非難しましたが、東電と経済産業省がやってきたこの5ヶ月の原発対応は、中国以上におかしいのです。原発を54基もつくりながら、放射能に汚染された際の食品について、農地について、生産者について、原発を造った地域の自治体や県でも全く基準やリスクマネージメントをせずに来たことは、そもそも原発をつくる資格がなかったレベルの国であることをはっきり示しています。それでも、「自主的避難」の人も賠償の対象に、という話が即出てきたことは、原発で表向きだけでも事態を大きくせずにできるだけ収束を図りたいという意図が見えるようです。本来なら自主的な避難と言ったら、東日本全体に及ぶと思いますが。相模原市でも、都内でも西日本や外国に避難した人達がいます。そういう人々も本来の意味では自主的避難者です。そしてこうした人々も含めて賠償に応じていく覚悟を東電はしなければならないのです。

再生エネルギーに大きな方向転換をはかるはずの法律案が、むしろ阻害する法律になっては意味がありません。一昨日の広島で首相に期待した中澤啓二さんも憤りをもっていたと報道されましたが、このままの政治では原発からの脱却はまだ見えてきません。いずれストレステストがちゃんと行われれば、止まるとは思いますが、巻き返しもすさまじいもの。日本の原子力利権の裾野は特に官庁の領域、マスコミ関係や評論家などひどいものです。この間でも大宅○○や寺島○○等なぜこういう人が今も大手を振ってテレビで訳知りに言えるのか、です。それにしても自民党と公明党は、民主党の政策の看板を掛けなおさせることで足を引張ることがせいぜいなのでしょうか。新たなエネルギー政策も、増税に頼らない経済政策も、脱デフレも語れず、未来に向けた新たな政策提案も反省もできない政党に、これで次の選挙を任せることなどありえるのでしょうか??言いなりになっていこうとする民主党執行部や閣僚の多くもひどいものですが、市民の実感からかけ離れたていたらくとしか見えません。腹が立つばかりなのでこの辺でやめますが、テレビで見たくない顔がまた増えてしまいます。

7月 19日(火) 暴風雨

大型台風の四国接近で天気が荒れ模様になる中、今日は市役所への話で出かけました。「新しいエネルギー政策を進める会」として「要請書」を渡し、様々な問題について話を聞くためでした。

放射線量の測定について、市では8月上旬にもようやく、約280の市内全小・中学校、保育園、幼稚園などについて測定するとのことです。また土壌についても、3kメートルメッシュで市内全域を測定するとのことですが、これは一回とされていて、線量の高い数値が出たところなどは経過監察でやっていくことになる、とは言うものの、測定後の対策や除染対応などはまだ検討もしていない、とのこと。測定後の除染と対策こそが問われます。年間1ミリシーベルトを超えると想定されるところについて、特に子どもの生活や遊びの場になるところは、除染が行われるようにこれからも注視と監視をし、意見を言っていく必要があります。このあたりの基準をどう持つか、については、なかなか腰が重い感じを受けました。これはまた継続して言い続けなければならないかも知れません。

市では、危機管理室が頭になって庁内の全部局からの出席で検討会を開いているそうですが、なかなか放射能汚染問題での対応について、把握と責任が一元化されていない印象を持ちます。もはや従来のあり方ではやっていけないのですから、まして政令市になった市として、住民の安心を担保してほしいと思います。

給食の測定については、横浜のように給食会が一括してやっていない、との理由を挙げて、食材を測定することは困難との話でした。しかし要望としては多く寄せられているとのことですし、各学校や保育園の食材の産地については、翌日などでも公表をできるように工夫を要請し、放射能測定についても更に検討を求めました。市の教育委員会としても、2学期に向けて何か工夫をしなければ、という問題意識はあるとのことでしたが、、。出席した人からは、市の友好関係にある、蓼科町などからの契約的食材提供をこの機会に行うことなども要請されました。市内の給食に使う牛乳は、県産のもので、これは県が調べているとしています。しかしその外は様々です。教育委員会は今は各学校や保育園に、できるだけ、西日本の食材を調達をすることなどを依頼しているそうですが、その日の午前中に電話で聞いてくる保護者もいるとのこと。各施設が同じフォーマットで毎日産地を表示できるようなホームページをつくるとか、せめて情報の開示に向けて前進させたいものです。

今の「汚染牛」の問題を見てもつくづく考えるところがあります。これまで日本の農業や地産・地消、農薬や化学肥料に頼らない地球に優しい持続可能な農・畜産・漁業などを地道に創り、育ててきたのは、個々の農家や畜産家=生産者と心ある消費者、市民なんだということです。決して国や官庁ではないのです。一人一人の市民=国民の命やなりわい、この国の風土や誇るべき作物などは生産者と消費者が協働でつくり育ててきたのです。利益があれば追認してきたような国・官庁です。そこに、突然、原子力による放射能という消そうにもなかなか消せない猛毒がばら撒かれました。懸命に作物をつくり、牛を育て、漁をし、自然と共存しながらやってきた人々が一番苦しめられるような事態に、何の気概も理念もなく利権だけで動いてきた国・官庁だから全て後手にまわる、目の前におきているような惨憺たる状況が広がってしまっているのです。必死で踏みとどまろうという担い手を支え、次につなげるための政治が機能しないこの国の貧しさは言葉になりません。

ペンキがはがれるように見せられる日本の、官庁の、あるいは自治体の、まがい物の権威と地方自治。これを踏み越えて行く試練の中に今私たちはいるのではないか、と思うばかりです。

7月 17日(日) 沖縄の名品!

110717_2302381 沖縄は竹富島で頑張る若い友人から、写真のようなパイナップルを送っていただきました!フルーツ大好きの私にはとてもありがたい贈り物です。早速電話をすると、元気な様子で嬉しくなります。まだ訪れたことのない竹富島ですが、「竹富島憲章」を守って郷土を豊かな自然是と奇跡の島として長く残していこうという彼の意気込みは本当に元気付けられます。パイナップルは少しおすそ分けをしながらありがたくいただきます。

昨日は、新磯野の環境を守る会の総会のあと、旧南清掃工場の取り壊しー解体工事についての説明会、で市の担当課が来て説明をするということで参加しました。だいぶ質問が出ていろんなことが少しずつわかるのは、どこかの記者会見を彷彿とさせるところがありますが(あそこまでひどくないでしょうが)、既に始まっている事前調査を考えれば、もう少し詳細なレジュメか、そこまででなくてもスケジュール表にしても、少なくとも細かいものが資料として用意できたはずなのではないか、と思わずにはおれません。なぜあえて、とまあ避難ばかりまた私が言い過ぎても、と思いこのことは言わずにいましたが、どうもしっくり納得が行かないのです。

質問に対しても、どこまでできるか、持ち帰ることがほとんどです。う~んと首をひねってしまいます。できることは今のご時世だし、できるだけ公開しながらやる方がいい、とこの日の責任者の方は言われるのですから、この場で出た意見に対しても、行程の住民への周知、ダイオキシン測定状況と結果の周辺への公表など、でもできるだけそうする、というべきではありませんかねえ。あえて不評や避難を買うことはさけるようにして欲しいものです。

ところで、ダイオキシンの測定では、新磯野の環境を守る会がかつて、松葉を使ったダイオキシン測定を委託して行い、これがとても有効だったことがありました。今小出裕章さんの本を読んでいたら、放射線量の測定でも、松葉が一番高い数値が出るという報告がありました。小出さんが、福島第一原発から2,4キロの地点で採取した放射線量を測ってみたところ、汚染が強すぎて測定器で測りきれなかったそうですが、中でも松葉が一番汚染がひどかったそうです。やはり松葉はダイオキシンの分布を図るのに適していたことで使われたと思いますが、放射線量でも同様に取り込むのでしょう。お茶の高い線量もやはり取り込みやすい作物だからともいわれます。

今の不安は魚や食物連鎖になってきています。でも食べるものは必要です。いろいろなものをバランスよく産地も様々に食べるようにするしかないのでしょうか。それにしても福島での避難地域を縮小させるのは時期尚早というか誤りではないでしょうか。起こっていることや汚染を過小に宣伝するより、むしろ、年間を通しての放射線量が1ミリシーベルトを超える地域について、国はちゃんと想定し、公表し、当面住めないところとして、生活再建補償をセットにして決断すべきと思います。日本では長きにわたって測定監視が必要な地域が各地にできてしまったのは事実なのですから。いいかげん、事実を直視して中長期的な対策を出すべきです。