昨日の相模大野で、プラザシテイ公園の砂場に砂がいれかえられました。この写真は砂を入れ替えた後の完了写真です。
30度を超す暑さの中でしたが、午前中に大野中央公園、午後にプラザシテイ公園と2箇所の公園の砂の入れ替えを見させてもらいました。プラザシテイでは日陰もなく、本当に暑かったです!砂を入れ替えたのは、市の公園課が委託し、市内の各砂場を地元の業者が請け負ってのもの。この入れ替え前の砂のセシウム濃度は市では測っていないのですが、保護者らの心配な声を受けて、ということです。実際に砂の放射能の濃度測定をしたほうが良いと思っていますし、市民測定室では、土壌の測定を始めています。
中央公園で、砂を入れ替えるために取り除いて、近くにしきならすため山にしておくと、そこにもうこどもたちが集まってきて、砂で遊ぶ光景を見ました。簡単に口にもはいってしまうだろうと思うと、やはりその砂のベクレルが気になります。それで、プラザシテイ公園では、砂のしきならしを、比較的濃度が高いと思われる植え込み付近の、粒子の細かい土の上などにしてもらいました。
チェルノブイリ後の状況について、ベラルーシとウクライナの研究者らが詳細に報告するシンポジウムをDVDで見る機会があり、興味深く見て改めて思ったことがあります。旧ソ連が91年崩壊したのは、チェルノブイリがかなり決定的な要因になっただろうということです。
チェルノブイリで本格的な避難と補償などが徹底されるのが、5年たってから=ソ連崩壊で、独立国になってからです。旧ソ連の体制を崩す決定打になったのではないかと思われました。でもその当時そこにさほど思いを馳せてはいなかったと思います。なぜなのか。
今市民放射能測定室で測って教わることがとてもたくさんあります。例えば、九州産でも北海道産でも、干ししいたけから数ベクレルセシウムが検出されることがあります。でも例えばセシウム134は検出されず、つまり福島原発由来ではないものがあること。そこから、私たちはチェルノブイリや、米ソなどの核実験で一体どれくらい被曝したのか、ということに思いを馳せ、実際に日本の食材がどれくらい放射能汚染を受けたのか、今になって知ろうということになる、などです。知らないことは怖いです。知ろうとしなかったことを改めないといけないと思い知ります。同時に原発の根底にあるのは、情報の操作・隠蔽と、あらゆる分断だともつくづく思う毎日です。
京大の今中さんが、同じDVDの中で、「日本の政治は、福島原発事故で政権中枢がメルトダウンした」と言われています。本当にその通りです。5年で再生まで進めるのかどうか、日本の私たちが試されているのではないかと思うのですが。
一昨日、市内橋本の、杜のホールで開かれたリニア中央新幹線建設についての説明会の写真です。最初だけ写真とメデイアの映像を許可したのですが、途中の説明にはいってからは「ダメ」ということでした。これは最初の挨拶の方のです。
暑かった~!!ですね。人も熱いし、気温も暑いし、この写真の空を見ていただくと暑いのがわかっていただけると思います。ただ風があったのがせめてもの救いです。公園の木々が多いところは涼しかったし。
7月1日に「リニア新幹線を考える学集会」に参加しました。橋本で会場がいっぱいの人が来ていました。
ちょっと幻想的な(?)写真は、ゴールデンウイーク最中の5月3日に立ち寄った、新潟県立の水俣病資料館での撮影可、のスペースで撮ったものです。遠くに見えるのが、阿賀野川の川漁をする漁師、一番手前には、鮭の番小屋の一部がありますが、わかりにくいですね。
3,11に私は国会包囲のヒューマンチェーンに参加しました。チェーンに向けて、人は5時半ごろからほぼそろってきていましたが、実際に第1回は6時10分ごろからで、一人置きくらいに持った紙コップのローソクにつけた炎が、とてもきれいに映える時間になってからでした。私は5時ごろから国会周辺にいましたが、明るいうちはまだ人が集まってくる最中でした。そのときすごかったのは警視庁の活躍(?)です。最初はなかったロープがあれ、と思う間に国会議事堂側の歩道と、道路をはさんだ1本外側の歩道の両方の円周にそって張り巡らされ、写真のように、道路をはさんだ議員会館側から国会議事堂側には渡れないようこの看板が出て、サッカーゴールのようなジャングルジムのようなものが置かれ、国会議事堂に添った歩道は瞬く間に立ち入れない歩道になっていきました。道路を挟んで一回り外側からしか、人が囲めないようにされたわけです。このために動員された警察官の数がまたすごくて、東京はほんとにこういうところにはお金を使えるところなのですね。これほど厳重な警備と人を近づけないように人とお金を使い、何から何を守りたいのでしょうか??