3月12日(金)議員辞職勧告決議で思う地方議会の原点

決議文昨日の議運で確定したように、今日臨時議会で上記の決議を上げました。ここに至る経緯を考えるほどに、なぜ?と思うことや頭を抱えることが多々あるのです。その考察と振り返りです。

2019年の4月に市議会選挙と市長選挙があり、市長が代わりました。市議会の議長は今は、2年交代で、この年5月の臨時議会で石川議員が議長になったのです。本来議長は投票による選挙で選出されるべきですが、相模原市議会では、ここ10年近く異議なしの「指名推薦」が通ってきている、ということ-これ自体が一つ変わるべきことで、昨年12月の議長辞任を受け、10年ぶりくらいに投票になったことは、一つの前進です。

市議会では、最大会派の自民が議長を、2番目の市民民主クラブが副議長を、それぞれとるわけです。地方自治法は議員の任期を4年とはしています。が、正副議長については各議会で様々です。1年というところも多く、相模原市もかつて私がいた2003年までは1年交代でいわゆる名誉職的な感じでした。それが良いわけではありません。議長が、2元代表制の一翼としての議会を代表する顔として、本会議での市長部局の答弁漏れを指摘したり、質問する議員側の権利をめいっぱい担保するために働いたり、情報公開を徹底して求めるなど、議会の底上げを本質的に考えて、実行できるのであれば、4年とは言わなくても、2年くらいはやったほうが良いのです。

しかし、実情はどうでしょうか。議長は会派の人数の多い大部屋が期数に応じて振り分けていきます。そして議長の発言はほぼ議会局の職員がペーパーで差し出し、その通りに発言するのみです。最初は、議長の挨拶さえ、自身の言葉では言わない、言えない人が私の知る限り多かったと思います。

本会議で、今の市長は少ないですが、前市長の時も答弁漏れを指摘することもほとんどなかったですし、石川議長のときにも特に少数会派の議員は、質問時間を数秒過ぎることを気にせざるをえない、と記憶しています。議会の権能を高めるより、議員の発言を規制する側に立つ議長-というのが大部屋の議長のイメージになっているのが、なんとも残念なひどい実情なのです。

しかしそういう議長でも、事務局に対しては、優越的な権力を持つようで、事務局職員が部下のようになってしまったのが、石川議長時代だったようです。この時の最初の議会局長の責任もかなり重いと考えます。

議会局は、議員の議会活動上の羅針盤であるべき、と考えます。不偏不党を少なくとも職務上は実行し、一人ひとりの議員に対し公平中立で接するべきです。しかし、石川議長時代の前局長が、私設秘書かと指摘されるくらいに、行動を共にしていたこと、たばこの休憩にまで同行していたことは見るにつけいぶかしく思っていました。つまりは、議長に対しては絶対服従のような姿勢、公私混同を是とする対応をとってしまったのではないか、と思えるのです。そう、国の官僚が忖度して問題になっていることと重なるような気がしますが。

局長が定年退職し、民間に再就職されて代われば当然議会局の対応は変わるのが当たり前です。そこに、様々なイジメやひどい暴言がはびこることになってしまったのではないか、と思えるわけです。

一方、こうした議長人事に至った、出身会派である自民党の責任もあります。私達「颯爽の会(さっそうのかい)」の部屋からは、遠いので見えないし聞こえもしないのですが、「議長室出入禁止」などあれば議会局の前に部屋がある自民さんは気づいていたのではないか、と思うのですが、なぜ先輩議員などが注意できなかったのでしょうか。

議長室での誕生祝いの動画をアップするなど、考えられないことも起きましたし、ここに至るまでにやはりあってはいけない公私混同が様々起きていたのではないでしょうか。同時に羅針盤であってほしい議会局の職員の在りようが、公務員としての立場からずれているのではないか、と思うことが起きてもいるのです。目に余ることは、管理職に話し合いもしてきましたが、軸がどこにあるのか、悩ましく思うことは消えません。

かつての市議会には、速記ができる議会職員として採用された女性職員が特に議事課の中心をになっていました。昭和40年代以降に採用された、と思いますが、私が議員になった最初の年、1987年(昭和62)当時、こうしたプロパー職員が事務局の中でも、議事課ではほとんどでした。そのプロパー職員が、議事の進行や、議員対応などを担い彼女たちの存在なくして議会はありませんでした。市長部局への異動は以前はなかったので、まさに議会のプロです。彼女たちがいる間は、総務課などに市長部局からの異動で議会を知らない職員が来ても、「議会」という独立機関の在り方を研修もできたでしょうし、考え方を学ぶことはできたと思うのです。

しかし、速記は民間委託になり、プロパー採用がなくなり議会のプロパーから、他部署への異動も行われるようになり、と変遷する中で、議会局も、そして中での議事課の職員も市長部局と同様に異動するようになります。そこからだんだんと議会としての羅針盤の役割を職員に求めることが難しくなってきたのか、と思えてしまいます。タックスサーバントという言葉が死語になってしまったのか、と思えることと同じような気もしますが。

私達地方議員は、議会局の職員を選任する権限はありません。議会局長は、一応議長の了解を得る手続きがあるようですが、任命権者は市長です。議会は独立した機関であり、執行部とは違うものの、職員は選任できないのが日本の現状です。その議会局職員が、ペーパーをつくり議長の発言を全面的に支えて本会議は運営されますし議長職も成り立っています。なおかつ、優越的な立場になる、そこに、議長になる議員の「カン違い」も起きる余地もあると思えます。

今の市議会で、議長を、全議員から、最も適任と思われる人を選挙で選出、ということは現実的には望めず、議員の多い会派から選出される以上、会派の中の力関係や期数です。では議員が選挙でえらばれるとき、その選ぶ基準はどうか、といえば議員それぞれで違います。国や自治体をどうしたいか、という方向性と政策を選ぶのが選挙だと思いますが、それが政党選択としても必ずしも明快か、というと⁇というところもあります。また地方議員は個人名を書いて選びますから、政党というより個人の側面、その個人を知っているかどうか、ということも大きな要素になっていることも事実です。

地方議会は民主主義の学校、と言われました。少数者が多数者になる道を閉ざさないことが議会の議論の場としてあるべきなのです。が、今は議論に時間をかけることを嫌う議員が増えてもいます。コロナを理由に議会が時間を短縮しようとしている面もとても悩ましいですし、そのことを事務方の職員も一緒に進めていることもあります。いろいろなことが省略されてきてもいます。質問を重ね、他の議員の質問から新たな疑問と議論が深まり、議員も職員も研鑽を積むことになるのです。これを省略してしまうと、互いに仕事が出来なくなって劣化していくととても危惧します。

職員も議員も双方で切磋琢磨して一定の緊張感を持ちつつ、議会の権能を高めていくことを目指し、それが市の政策形成能力を高めることにも、市民の発言権や情報公開を担保していくことにもつながる、と意識的に取り組みたい、そういう地方議会の原点を再確認してやっていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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