4月 30日(土) 「終焉に向かう原子力」

110429_123344 110429_155937 昨日、御茶ノ水の明治大学で、「終焉に向かう原子力」第11回が、「チェルノブイリ原発事故から25周年・浜岡原発を即時停止させよう・福島原発震災を繰り返すな」と題して開催されました。開会時間の1時間も前から会場の明治大学に集まってきた参加者の様子が最初の写真ですが、見えますでしょうか?この会をキャッチし、誘っていくれたお友達と早めに到着し、順次3階のホールに行くためのエスカレーターで移動しているときに移したのですが、おそらく2000人からの人が集まってきていたと思います。会場を3回変更したそうですが、それでも全ての人が入りきることができず、参加ができなかった人も数百人単位でいたようです。開会時間を30分遅くして、整列入場をしながらはじまりました。

最初に、浜岡原発の現地報告を3人の方からシンポジウム形式で聞きました。中でも原発推進のあり方を象徴する報告は、浜岡原発が建っている地層のことを紹介した話です。

中部電力による浜岡原発が建っている御前崎市のこのあたりの地盤は、「相良層」という泥岩と砂岩の互層による構造で、「軟岩」に分類される、言ってみれば非常にやわい地盤なのです。明治大学の生方先生が実際に会場で、手で簡単にボロボロ砕けることを示してくださいました。これを当初中部電力も、この事実を展示していたのが、あるときから突然この事実が隠されてしまったのです。現在は、「地震に強い地盤」と記載するだけで、「相良層」のことは全く消されてしまったというのです。柏崎刈羽も活断層の上に建っていることを隠して建設されたことがわかっていますが、浜岡の原発も嘘を上塗りした上に建っていることをあらわしています。

30年以内に、87%の確立で起こるとされる東海、東南海地震を考えるまでもなく、浜岡原発は危ういものです。しかし同じ29日、朝刊の1面で、浜岡原発の3号機を7月に再稼働させることを前提にした経営計画を公表したことが掲載されました。

柏崎と同じように東海地震の震源地の上に建つ浜岡原発のある下は、南海トラフというプレート境界で、100年から150年単位で、M8クラスの巨大な地震がおきていることは既に知られています。1854年の安政東海地震から既に150年以上がたっており、いつ起こってもおかしくない、という指摘も繰り返し言われています。

地元市民団体などが、浜岡原発の運転差し止めを求めた訴訟を2003年に起こし、これまでに89万人からの人が署名もしています。耐震性も不十分で配管破断事故を起こし、老朽化した1、2号機は、この訴訟の高裁段階で、中電側が廃炉を決めますが、逆に新たな6号機の増設も打ち出したのです。現在も訴訟は続いていますが、過去の地裁段階で、「耐震性は確保されており」「原告らの生命・身体が侵害される具体的危険は認められない」とした1審判決は、計り知れない犠牲をともない事実によって覆ったことになります。現状のままで中電に3号機の再開をさせるわけには行きません。私たちができることをやらなければならないのです。

明治大学の集会では、小出裕章氏と、広瀬隆氏の講演が続いて行われました。私は小出さんの講演しか聴けませんでしたが、講演の最初に、小出さんが原子炉実験所という原子力の世界にいながら、原発の事故を止められなかったことに、「申し訳ありません」とわびられたのがとても堪えました。現場から批判し続けてきた小出さんよりも、政治に係る場にいながら、原発依存を脱却しなければと思いながらも、震災前に一般の主婦やタレントを使ってエスカレートしていった東電の原発推進コマーシャルを吐き気がするように文句を言いあせりつつ、具体的には何も動いてこなかった私自身、飯館村などの人々に言わなければならないことだと思ってしまうからです。正直に言えば、震災前の原発に対する私の思いは、推進側の派手な宣伝と海外輸出などの動きにあせりとともに、広瀬隆氏や、鎌田慧氏の本を読んでは、いつか必ずくるだろう、という思いと絶望感とが交差するような感じがずっと続いていました。ときにレポートで書いたり、防災対策に絡んで、浜岡のことを議会でもぶつけてみようか、と思ってみながらなかなか前に進めない忸怩たる思いがありました。こんなことが起こってしまってからで申し訳ないのですが、でも何もせずにはいられません。

浜岡を止めるためにできることを!まずは一歩。

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