6月 11日(土) 脱原発100万人行動の日

福島第一原発の事故から3ヶ月です。今日各地ではデモや集会などが100箇所以上計画されていました。あいにく関東も昼間は雨が降っていました。私は考えたのですが、日弁連と簡弁連の主催するシンポジウムに参加しました。相模原から3名で行ってきました。

「福島第一原子力発電所の事故を通して、世界のエネルギー・環境問題を考える」というシンポジウムは、パネリストとして、脱原発を提唱している方たちと、今も原発を推進しようという、いわゆる原子力村の方たちの双方を迎えた激論を交わすというものでした。原子力村の人を呼べるというところが、日弁連のすごさか、と思います。通常脱原発で活動するNPOなどのよびかけではこうした方たちは来てくれないことがほとんどと思います。ここが興味深かったのです。

メンツは、脱原発のスタンスで、飯田哲也氏、後藤政志氏、千葉恒久弁護士、原発推進の立場で、林勉氏、小野章昌氏、そして中間的な松村敏弘氏という顔ぶれでした。

林勉氏が、元日立製作所原子力事業部長で、エネルギー問題に発言する会の代表幹事でもあり、その話をどう展開するのか、と聞いていました。が、原子力と天然ガスや石炭、太陽光などを比較した、各種エネルギー源の比較資料も相変わらず、経済性・CO2などで原子力が◎になるようなものを出してきて、放射能を閉じ込める5重の壁、という崩壊した旧い神話を繰り返し、多重防壁で安全性は確保される、などという話をするのです。

このプレゼンを聞いていた飯田哲也氏が、「3月11日がまるでなかったかのような話で驚く」と言った言葉は、思わず拍手がたくさん出たことに会場の多くの参加者が同じ思いを持ったと想像できました。世界の原子力発電は今後発展していくかのような言い方や旧い資料、原子力村の人々にとって、福島の事故も今も続く放射能汚染もまるで別の世界の出来事のように時間が止まっているのでしょうか。自己暗示もここまで来るとすごいものです。ただ、その論理は全て破綻していること、既に過去の幻影になっていることは、ほとんどの国民の認識でしょう。この程度の話なのか、と思いました。

小野氏という人の話は、飯田さんとドイツを批判するもので、自然エネルギーには限界があり、省エネでは電力消費は減らない、2070年には、原発を1億9700億kWにする必要があり、これは更に100基以上の原発を必要とするということです。こういうことを今声高に言う人がいるのです。この人の話にも、今の福島原発事故で避難を余儀なくされている現実の人々や、子どもの放射能汚染を心配する人々のこと、命のことなどは全く視野にはいっていません。

千葉弁護士が紹介していたドイツの決定で、原発はドイツの社会が受け入れない、ということが決定の理由であったこと、倫理委員会が何時間にもおよぶ激論の末決めたことに言及していました。脱原発にはまさしく思想、哲学が背景にあります。原子力に「本質安全」は不可能、だからという後藤さんの技術者としての話にしてもそうでしたが、そこには未来に責任を持つ、という長い地球の歴史の中の一時を生きている今の人間としての当然の思想があります。しかし、推進派の人の話には、全く当時者能力も責任感も感じられませんでした。ここに歴然とした違いがありました。

今日の新聞では経済産業省主導で事故調査委員会を骨抜きにする構想を、首相が拒否した、とあります。危惧されたことです。だから今、電源3法をはじめ、原子力依存の仕組みを、脱原発に向けて法的整備から舵をきり着手しなければなりません。本当に今やらなければ、、です。

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