5月 7日(月) 「阿賀に生きる」20周年の集いに、、。

120503_1519191 ちょっと幻想的な(?)写真は、ゴールデンウイーク最中の5月3日に立ち寄った、新潟県立の水俣病資料館での撮影可、のスペースで撮ったものです。遠くに見えるのが、阿賀野川の川漁をする漁師、一番手前には、鮭の番小屋の一部がありますが、わかりにくいですね。

この資料館は、新潟市の現在の北区となった福島潟の中にありました。水俣をこどもたちに伝えるネットの田嶋さんにつれていってもらって入りましたが、なかなかのところで、新潟県もやるなあ、と思いました。阿賀野川の川底に見立てた展示場のスペース作りも良いですし、企画展としてやっていた別スペースの、東日本大震災のコーナーもでした。

企画展の最初には、福島原発事故を、新潟水俣病、水俣病などと同根の問題と指摘する人々の語る報道記事を展示していました。

新潟水俣病は、第2水俣病などとも言われ、メチル水銀を知らずに魚から摂取してしまった人が発症したもので、1965年、熊本の水俣病が見つかったとされる、1956年から9年を経てわかりました。その間、新潟水俣病の原因となった昭和電工鹿瀬工場も、水俣病の原因が、自社でも生成するアセトアルデヒドの生成課程で出るメチル水銀にあるとわかっていたにもかかわらず、毒を阿賀野川に垂れ流し続け、旧通産省も黙認していたことなど、資料館の資料で知ることができます。

阿賀野川が豊かな漁場であったこともこの資料館でわかります。

原発が明らかな差別の構造の元で推進されてきたように、水俣病が引き起こされた根幹にも同じものを見ます。沖縄も同根だと思います。その元凶は政治です。         「阿賀に生きる」は今や新潟の文化といえる、とはたのさんが言われましたが、20年目、私にも新たな出会いをもたらしてくれました。

そして原発はついに、42年ぶりにゼロ稼動です。

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