2014年 3月 20日(木) 竹富町の教科書問題

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遅まきながら、3月15日の脱原発集会(日比谷野音)です。デモも参加しましたが、5500人が主催者発表でした。東京新聞が16日の1面に写真載せてました。

今日の新聞に、沖縄県竹富町で続く、文科省の恫喝のような教科書押し付けという「是正」要求、に対し、沖縄選出の国会議員が連盟で抗議声明を出す会見を行った、とあります。

なぜ抗議しないのだろう、とずっと思っていたので、ちょっと遅いんじゃないか、というのが正直な感想です。 竹富町を孤立させず、文科省への抗議の声をより広げて行きたいものです。教育を受ける権利は、文科省や時の政府、官僚の言いなりの人間をつくるためにあるのではないのですから。

今日の新聞で、もう一つ。朝日新聞に出ていた「入管行政に警鐘」も、依然として日本の人権後進国を象徴しています。2010年3月、ガーナ人男性が強制送還される時に成田で窒息死させられた殺人事件で、遺族が賠償責任を求めて国を訴えた裁判の判決が東京地裁でありました。

死因は入国管理局(入管)の職員による違法な制圧行為、と断定した判決で、遺族に対し、国が500万円の賠償を行うよう命じた、というのが19日の判決内容です。

ずっと前から日本の難民受け入れの少なさや、入管の非道さは指摘され、私も過去に直接抗議をしなければならない場面もありましたし、弁護士など様々に入管行政の是正を求めていました。 今回の判決が出た事件では、殺人まで犯していながら法務省の下にあるからと警備官は先に不起訴になってしまっています。法務省という権力を持つ集団の犯罪には徹底して甘く作用するシステムです。

労働現場では、日本の働く人たちでも正規社員の採用は難しく、正規社員だからと、法外に残業させられるブラック企業は業種を問わずあちこちにあって、派遣や非正規では、時給だけでは食べていくことが難しいような実態がそこここです。賃金も安く、仕事もきついために人が長く働けない介護や福祉の現場に、外国から労働者を受け入れようというあまりにご都合主義な実態が動いています。 どちらを見ても人としての個人の存在がとても軽く扱われてしまう日本が透けて見えるのですが、入管行政の姿は更に外国人への差別的な視線が加わって醜いまでの日本です。 

なぜこんな、、と思わない日がない毎日。サイクルがどんどん速くなっていく今に生きているから、気を長~くもって、タメをたくさん持って、お金はなくても余裕でかまえ、あれもこれもはできないけれど、こだわることはこだわって、考えて、行きたいと思います。

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